2020年6月30日火曜日

I ka ‘ōlelo ke ola, i ka ‘ōlelo ka make

いっそイラストハワイという本のなかで見つけたハワイの言葉。この本のなかでは、言葉は人を生かす事もできるし、人を殺す事もできる、と訳されていました。oxford handbooksというサイトに英語での説明がのっていたけれど、私なりの意訳で、言葉には命も宿るし、死も蠢く、といった感じかな。ハワイの文化というのはとても奥深そうなので、現地に行って確かな事を聞かないと本当のところは掴めないけれど。

言葉というのは生かすも殺すも使い方一つだから、それはしっかり胸に刻みたいな、と思う。人を死の淵に追いやる凶器でもあるし、人を絶望の底から引っ張り上げる光にもなる。人間、いろんな失敗をするし、言ってしまった事は取り返せないけれど、悪いと思った事を心を尽くして謝り、あとの自分がこの世に存在する時間に生かして、他の人に光として返していきたい。

飛ぶ教室というケストナーの本と同名のラジオ番組でちょっと前に高橋源一郎さんが、カミュのペストを引き合いに出して、言葉を発する、書き記す、という事についてお話しされていたのもすごく印象に残っています。何かを発信する時の戸惑いや怯え、という物を完全に置き去りにしてはいけないのだな、と。

このあいだ、両国にダンスの公演を見に行ったとき、公演後の座談会のような場で、出演者にマイクで直接、すごく率直な感想を伝え、そのあと深い知識と経験に裏打ちされた愛のあるコメントを言ってらっしゃった方がおられ、目ん玉が飛び出るくらいびっくりしたけれど、昨今問題になっている匿名の誹謗中傷とは真逆の世界で、そのあと何事もなかったように親しげに話されている様子とかも含め、人や芸術に厳然とした大きな尊重の気持ちを感じました。人格の否定ではなく、憎しみを含んだ拒絶ではなく、全ての人が違うという当たり前を許容した言葉。面と向かってなら何を言ってもいい、という話しでは勿論なく、言葉で人とつながっていくために、自分の言葉として責任をもっていく、そうありたい、と思わせて頂いた出来事でした。

辛い時、もしくは辛い記憶や時間を癒してくれた、数々の言葉を思い出します。何気ない言葉もあり、言った人は忘れているかも。でも確実に自分を救ってくれました。ありがたいことだなあ、と思います。